ないと感じて悲しくなるのは
自信がないと落ち込むのは、
すでに自信があることを
知っているから
器が小さいと嘆くのは
それ以上の器があることを
知っているから
できないって悩むのは
できる力量があることに
気がついているから
今、不足を感じて、
モヤモヤ、イライラが募るのは
「ある」「持っている」
自分が本当だから
「ある」状態が本来で
ない自分というのを
周りから刷り込まれて
とても不自然な状態だから
いや、いや、嘘でしょ。
ないから、
困ってんじゃん。
辛いんじゃん。
っていうか、
実際に見えないじゃん!
って言われそうですが、
見えないことが
「ある」証明だったり
するのかなって思うんです。
「ある」場所に立って
ない方を見てるから、
すでにある方にいる
ここにいるって
認識できている
自分が見えないように
「ある」方にいると、
「ある」ものは見えないんです。
光があるから
闇がある
光にいたら、
闇があるところがわかる
闇にいたら
光があるところがわかる。
「ない」ことがわかるのは、
「ある」側にいるから。
ないことを見て、
「ない、ない」と
頑張って、
自分を追い詰めて
動けなくなって
さらに落ち込む
という悪循環に
陥ることがあるけれど
「ない」と気がついた時点で、
「ある」ところにいるのだから
自然にしていればいいんだよね。
本当は。
自然な状態だと
無理してるとかなくて
ただ、
やれる
進む
できる
そこに条件はいらない。
だって「ある」方にいるから。
例えば
自転車に乗れるようになったら
何も考えずにこげる。
それは自然だから。
自転車が進んでたらokだし
気持ちいい。
でも、
他の人から
踏み出す時の角度は
この角度するべきとか
サドルの高さは
●cmが正しいから
あなたのは高すぎる
とか言われると、
自然にこげなくなって不快だし、
自分が正しいのか不安で
自転車に乗れなくなる。
自然な状態っていうのは、
何か考えてなくても、
体が動いていて
それが快適と感じられる状態
何も考えなくても
自転車がこげるのと一緒
どうやって自転車に乗ってても
自分が気持ちよく乗れてたらok
たぶん、日常もこんな感じなのでは。
できるようになるまでは
頑張るけれど。
その頑張りに付随するのは
負けん気とか、
達成感とか、
自分を高めていくような
感情や感覚だったりする。
疲れるけど
転んで痛いかもしれないけど
それは、不快とは違って
近づいている実感というか
で、
意識せずにできるように
なった時には、
できたことを純粋に楽しむ
そこに、不快や不安はない。
なので、もし、
今自分がしていること
頑張っていることが
苦痛を伴うものだとしたら
少し考えてみたらのサイン
なのかもしれません。
「ある」私は
本当はどうしたいのか
って考えていったら、
不安や不快ではない
本当の望みへの
チャレンジをできる
のだと思います。