母とわたし

くそババァとのその後

昨日の投稿の続き。ちょっと品のないタイトルが続いておりますがご容赦を。今日の投稿までは、過去にFacebookに投稿しておりました。以下、本文。(なんか、勢いで書いて…

上のブログの続きです。
母と私の最終章。
長くなってしまいましたので、
お時間のある時に。


で、別物と割り切ったあと、
母とはどうなったかというと
まあ、普通に親子してます。

母も年齢を重ねてきたので、
それなりに不調があるし、
大腸の奇形からの大腸の開き手術で
体調の管理が大変になったり
階段から落ちて大腿骨骨折したり
色々とありますが

心配しすぎない。
これが一番かなと思って。

昔の自分を考えると、
かなり冷たいなと思うんだけど

今の自分から、昔を振り返ると
母を助けたいを拗らせてたって思う。

「助けたい」

ではなく

「助けなければいけない」

にいつの間にかなってた。

それは、
必要以上に祖父母をを心配する母
必要以上に実家を心配する母
必要以上に弟家族を心配する母
を見ていたからかもしれません。

母の生い立ちを聞くに、
必要とされなければ、
何かを成さなければ、
自分は認めてもらえないという
思い込みが生まれたんだなと
思うのです。

その様子を見て、

私はそのように生きる必要がある

と感じて、

母のようになることが、
母を助けることだと

思い込んでいたのかもしれません。

他にも
私のことは大丈夫って思っている節がある。
って思ったり
母が私を自分と同一視しているなと
感じることもありました。


助けてくれる対象ではなくて
一緒に助ける側であるということは
自分を認めてくれていると思うと同時に
子供なんだから、無償で愛して欲しい
と思う気持ちが満たされず、
寂しいと感じる一因でもあったと思います。

じゃあ、そこに、無償の愛はなかったか
というとそんなことは全然なくて。

私を認めてくれることは、
無条件の信頼で、愛からくるものだと
今なら分かります。
ただ、私が求めていた表現と違っていただけで。

そんな母のことも、私は愛しているのです。

とはいえ、もっとできるはずと思う私は
できなければ認めてもらえないとも
思い込んだ訳で。

今の自分で認めてもらえていたのに
勝手にハードルを上げていたなと。

もっと頑張れっていうのは、
できないからNGと言われたのではなくて
できるって知ってるっていう信頼の
表れだったのかなと。

そんなことに時間をかけて
気がついていくうちに、

大丈夫って。

全部自分がやらなくていいって

母へ伝えながら
自分にも言い聞かせてました。

自分と母への愛を持って
自分と母への信頼を持って

大丈夫。

だから本当はどうしたいって

母にも、私にも問いかけて
過ごしました。

そしたら、

骨を折った母は、寝たきりにならず
問題を抱えていた弟家族は
自分達のあり方をみつけた。

色々言ってくる母に
面倒だなーと思っても
いちいちめくじら立てず
話したいんだなーって
受け入れられるようになったし

私はなりたい自分に
向かうことができています。

大人になった私は
もう、自分で選んでいい。
自分で決めていい。

大人である母も
そうしていいのです。

母のお腹の中からオギャーと出た時点で
母と私は

「わたし」と「わたし以外」に

なったのですから。

母には無許可掲載につき、ウサギになってもらいました。

と、あっさり(いや、長いぞ)書きましたが、
ここまでくるのには、
ずっと溜めていた、感情を
鼻水と涙と、何かわからない叫びとか
そういうのを出しながら、
向き合いました。

そんなことしても、
大丈夫なんです。
誰もあなたを損なうことはありません。


この文章が理解できるということは
親に生殺与奪権を握られたままでいる
必要はないんです。

他の誰かに助けてって言ってもいい。
こいつは知らないってほっといてもいい。

もう、あなたの人生を生きていいのです。

さて、あなたの人生を生きる許可は出ています。
どんなふうに生きたいですか?