甘いを捨てて、暖かさを拾う。

最近めっきり更新していなかったのは、自分を見つめ直していたからです。
と言いましても、まだまだ続いているわけですが。

このコロナ騒ぎがあって色々とざわざわすることが多い中で、自分を見つめ直す機会を持つ人も多いのではと思ってます。

コロナ騒ぎの中で、すごくいいことがあったとするなら、オンラインでのやりとりが盛んになったこと。

今まで東京に行かないと受けられなかったワークショップにオンラインで、しかも少人数で参加できるというのは、とっても素敵なことだなと思います。

私が最近よく参加しているのはMKコーポレーションさんが主催しているアルティメットプログラムの中のポジティブ瞑想です。ポジティブなエネルギーの中で、いろんな角度から自分の未来を見つめるための瞑想です。

その瞑想の最後にするワークとして、今自分にいらないものを捨てて、必要なものが届くというイメージワークがあります。
その時によって、細かい設定は変わるのですが、基本的には自分にいらないものをゴミ袋に入れて飛ばして、宅配で必要なものが届くという設定。
その時捨てたものと受け取ったものはイメージだったり、言葉だったりで浮かびます。

なんじゃそれっていうものもあれば、納得できるものもあるのですが、今回は、似て非なるものを捨てて、拾ったお話を考察したいなと思います。

壁の隙間から顔を出してた葉っぱ

その日私はビジョンを言葉で受け取ってました。まず捨てたのは私にとって一番いらないもの。

「甘い」

という言葉。ゴミ袋に入れて、飛ばしましょうっていう講師の言葉とともに
「あまーーーーーーーーーーーーーい!」
とばかりにビューンと飛んで行きました。

で、届いたのは、とっても重要なもの。


「ぬくもり」「あたたかさ」


という言葉でした。

一番いらないものとして出てきた「甘い」は、自分の甘えという印象ももちろんですが、「甘やかす」という印象もあって。
その受けた印象から、私は、相手のためと思いながら、必要以上に甘やかしていて、相手がなすべきことを止めていて、相手の成長を邪魔してきたのかもしれないな。と思い至りました。

そして、その相手のためということを、自分への言い訳に、それが自分に甘いことへの隠蓑になっていたんだなと。

私は、これまで、相手のことを思いやる、相手のためになることをやるといって、断ることをあまりしてきませんでした。そして自分がいっぱいいっぱいになってしまって、どうにもできず、それ以上を求めてくる相手に対応できずに、できなくなったことを責められたり、いづらくなってフェイドアウトしたり、強制終了したりしてきました。

でも、それは、実は、断ることで相手に嫌われるかもしれない、私は価値のない人間だと判断されるかもしれないと思われることによって傷つくのが嫌だから、自分の気持ちを我慢するという楽な方を選択するという自分への甘えと。

文字通り、楽にしてあげたいという甘やかしになっていて。

本当は相手が私と話をすることで深めることができたかもしれない思考や成長を阻害したり、経験を奪ったりしていたことなのかもしれないと思ったのです。

なので、私の中にあるそんな「甘い」という性質は、必要ないもので、本当にいらないものだったんだなというのを、ワークが終わってから何日も過ごして噛み締めていたりします。

だからと言って、冷たくするとかということではなくて。とっても重要なこととして受け取ったのは「ぬくもり」と「あたたかさ」

これは、信じるってことなのかなと感じています。相手を信じて、見守るとか、送り出すとか、応援するっていうのは、甘やかすことではないし、自分にとっても辛く感じることも多いなと思います。でも、そこにあるのは愛情で、それを思い起こして湧いてくるのは、温もりとか暖かさだったりします。

今回捨てた「甘い」も「ぬくもり」もなんとなく同じような、柔らかいもののように感じますが、その本質は似て非なるもの。

私は、ぬくもりを持って、あなたの背中を未来に向かってそっと押し出したい。
そんなふうに感じたのでした。

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